〜阪神大震災〜Pzmiexnv
1995年1月17日、朝5時46分に起こった阪神大震災から13年と一週間が過ぎました。

13年前のあの時、貴方は何をしていましたか?

私は社会人一年目の23歳、入社して10ヶ月まだ駆け出しの頃でした。今よりもずっと住宅需要は好調で、帰宅はいつも深夜。大阪市天王寺近くの8階建てワンルームマンションの4階に一人住まいで、その日も夜中2時頃に寝たと思います。早朝激しい地震の揺れを感じましたが、眠気が勝っておりそのまま朝まで寝てしまいました。

起きてTVを付けると何やら地震のニュースをやっている。神戸方面で大きな地震が起きたようだ。私の実家、神戸に電話をしてみるが全然繋がらない。この時点ではまさかこんな事になっているとは思いもよらず、社用車で天王寺から国道25号線⇒309号線で当時勤務していた富田林方面の展示場へ向かいました。

いつもなら40分ほどで到着する道程なのに、この日は約2時間かかっての到着。途中公衆電話では実家に連絡が取れ、無事を確認。公衆電話のほうが繋がり易かった事を後から知りました。

昼過ぎ、展示場のTVでニュースを見ていると、死者数百名と出ていました。大変なことになったと、会社では救援物資のカセットコンロやガスをホームセンターまで買いに走りました。

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数日後、被災され大阪南方面へ避難している方々が展示場に訪れました。
「自分達の家を見に行って欲しい。まだ残している荷物もあり心配で、、、」
お客様と現地を確認するお約束をして神戸に向かいました。電車はありません、車でも行けない、そこで大阪港からフェリーで神戸港へ向かいました。後にも先にも、フェリーで現場調査に向かったのは初めてのことでした。

港を下りてからも交通手段は無く、現地まで数キロを歩いていきました。
私の生まれ故郷である神戸の想像を絶する状況に、地震の恐ろしさを改めて強烈に感じ、震える思いで現地に向かった事を記憶しています。

木造2階建てのお客様の家は、無残にも1階が平行四辺形のような形になっており、棚からは食器が落ちて割れ放題、下手に近づくと家ごと倒れてきそうでした。この状況で、正直お客様はよく助かって本当に良かったと思いました。地震がもっと長く続き、また余震でもあれば大変な事になっていたのではと思いました。

神戸では誰も地震が来るとは思っていませんでした。大きな地震が起こる確率は1%未満だったと聞いたことがあります。静岡・愛知を中心とする東海地震の発生確率は50%、大阪・和歌山を中心とする南海地震は30%程度のようです。阪神大震災の数十倍の確率で起こると云われています。備えあれば憂いありませんが、すぐでもに出来る防災対策をしたいものですね。

そんな事もあり私の「地震に強い家作り」への想いは、人一倍強くなりました。

こんなサイトがありましたので、ご参考までに・・・
あなたの家は大丈夫!? 木造住宅の簡易耐震診断
http://www.njr.or.jp/a05/mokuzou.html